3ヶ月位前、年休を使って健康診断に行った帰りに、
以前から行きたいと思っていた岡本太郎記念館に行ってきた。
http://www.taro-okamoto.or.jp/index.html
芸術には何の興味もないし理解もできない人間ではあるが
岡本太郎にはとても興味があった。
以前から行きたいと思っていた岡本太郎記念館に行ってきた。
http://www.taro-okamoto.or.jp/index.html
芸術には何の興味もないし理解もできない人間ではあるが
岡本太郎にはとても興味があった。
それは、幼稚園児くらいの子供たちが絵を夢中で描いているの見ながら、
岡本太郎が「いいぞ~。いいぞ~。」と褒めている映像だった。
岡本太郎が「いいぞ~。いいぞ~。」と褒めている映像だった。
この子供の描く絵がすばらしいという感覚にはとても衝撃を受けて、
そこから芸術に関する価値観も変わった。
そこから芸術に関する価値観も変わった。
子供が描く絵は構図的にも色彩的にもめちゃくちゃかもしれないけれど、
そこにはまだ既成概念にとらわれていない人間の感性そのものが、
そのまま純粋に描かれているのだと思う。
そこにはまだ既成概念にとらわれていない人間の感性そのものが、
そのまま純粋に描かれているのだと思う。
この感性は絵本にも通ずる部分だと思う。
以前記事にもしたように絵本が好きなのだが、どこら辺が好きかというと
やたらと強いインパクトを視覚と擬音で感性に直接与えかけてくるところがいい。
きれいにまとまったストーリーがあるようなものはつまらない。
ダイナミックであって、軽いトラウマを植えつけるくらいのものがいい。
以前記事にもしたように絵本が好きなのだが、どこら辺が好きかというと
やたらと強いインパクトを視覚と擬音で感性に直接与えかけてくるところがいい。
きれいにまとまったストーリーがあるようなものはつまらない。
ダイナミックであって、軽いトラウマを植えつけるくらいのものがいい。
そのような絵本が描ける作家というのは凄いと思う。
大人になり既成概念にどっぷり浸かってしまった今となって気がつくが、
昔は湯水のように沸いていたそういう感性はもう枯渇してしまった。
子供のような感性を持っていなければ面白い内容など思いつかないと思う。
芸術家もそのようにするどい感性を持ち合わせていなければならないのだろう。
大人になり既成概念にどっぷり浸かってしまった今となって気がつくが、
昔は湯水のように沸いていたそういう感性はもう枯渇してしまった。
子供のような感性を持っていなければ面白い内容など思いつかないと思う。
芸術家もそのようにするどい感性を持ち合わせていなければならないのだろう。
とまぁ、行こうと思ったときはこんな感じであった。、
もちろん作品を見て内容を理解しようとは思っておらず、
何らかのエネルギーが作品から感じ取ることができるのではないか、
という想いで行った。
もちろん作品を見て内容を理解しようとは思っておらず、
何らかのエネルギーが作品から感じ取ることができるのではないか、
という想いで行った。
建物内部では、俺が行ったときには手に関する作品を展示していた。
手のイスを用いた撮影ポイントも存在。
リビングには自分の人形も置いてある。
アトリエは入った瞬間、空気が変わったのが感じ取れた。
しんと張り詰めていて、この場所で作品を制作していたのかぁと
その空気を感じることができた。
しんと張り詰めていて、この場所で作品を制作していたのかぁと
その空気を感じることができた。
また、パワーを貰いたいときに行こうと思う。